音旅

文章の世界の住人。主に音楽のお話。

ゴミは不必要なものなんかじゃない─BURNABLE/UNBURNABLE「このままどこか」について  

 

 4月某日、スマホを開くとTwitterからこんな通知が届いていた。
 


 

aiko・Superfly・米津玄師など様々な有名アーティストのサポートベーシストとして活躍し、XIIX(テントゥエンティ)というバンドでもその実力を発揮する須藤優が、新しい音楽プロジェクトに関わるという。

 

その名は“BURNABLE/UNBURNABLE”(読み:バーナブル/アンバーナブル)。

アーティスト名が長いので、“バナブル”と省略させて頂くことをご了承願いたい。

 

 

 須藤優の作る音楽には個人的に好感を持っていた。XIIXでアレンジを担当する楽曲は言わずもがな聴き心地が良いものとなっているし、サポートベーシストとしての音色も素晴らしい。そんな彼が関わったプロジェクト、放っておけるわけがない。

 

 どんな音楽だろう、とイヤホンを通して耳に流し入れた。

 

 

 

なんだ、この不思議な音楽は。
 

形が掴めない飄々とした歌声、ダークで泳ぐような音たち……どれを取っても、今までに聴いたことがない。ちゃんとした言葉が出てこないまま、衝動的にツイートしてしまった。

 

 

 たった140字にも満たないツイート。これだけでは良さが全く伝わった気がせず、それに加えて「何か書かなければいけない」という使命もを感じ取った。

 

わたしがこの文章を書いている時点で2人の方がバナブルについての文章を書いているが、わたしはわたしの言葉と視点で書いてみたいと思ったのだ。そういうわけで筆を取っている次第である。

 

 バナブルをひとつひとつ、言葉として解剖していきたい。

 

 まず、このBURNABLE/UNBURNABLEのボーカルとして世界に降り立った女性はre:cacoさんという。わたしは今回、バナブルで彼女に初めましてをした。re:cacoさんもバナブルの音楽性と同じく不思議な方で、こう言っては何だが……音楽が人の形をしているような───掴み所が分からないと感じる。紫陽花の葉から零れ落ちる雫のような……美しく、触れたら壊れてしまいそうな歌声の持ち主。re:cacoさんがいてこそのBURNABLE/UNBURNABLEといっていい。
 

 わたしの推測にはなるが、“re:caco”というボーカルネームは、re:=戻る/caco=過去──と解釈していいものなのだろうか。彼女のボーカルネームに意味があるような気がしてならない。
 

そんなre:cacoさんのTwitterから、ツイートを1つ引用させて頂きたい。

 

 


どこか闇を孕んだ彼女の言葉は、普段の生活で見逃していたことに気づかされる。何かあったのかと心配になり返信すると、彼女からはこんなリプが返ってきた。

 

 

──大人、なのだ。背伸びをしているのではない。上手く言い表すことが難しいが、彼女はわたしよりも世界の暗い部分を知っているような……そんな気がした。

 


 楽曲の話。

 

 BURNABLE/UNBURNABLEが今回発表した「このままどこか」という楽曲。副題には(NO ROOM)という言葉がついている。“ROOM”というと、一般的にイメージするのは“部屋”だと思うが、調べてみると、“余地”・“空間”・“ゆとり”などといったものも意味としてあるらしい。

このままどこか──1人になれない空間があるから、どこかに行ってしまいたい、という解釈をすればいいのだろうか。それを踏まえて、楽曲を聴いて貰いたい。

 

 「このままどこか」を色に例えるなら……黒や紺だろうか。暗めの音楽のはずなのに、聴いていて気分が沈むことはない。それは言葉に表すことのできないre:cacoさんの歌声も一理あるし、いつの間にか溺れていくようなメロディラインもそうなのだ。まるで、不思議な空間に連れ去られていくような心地がする。

世界観に圧倒されて何も言えないままでいると、その音楽は終わりを迎えている。そういった感覚は初めてだった。

そして、直感的に「この音楽はいろんな人に知られてしまうだろう」と感じた。YouTube上のMVの再生回数がこんなにも少ないのがもどかしい。矛盾するようだが…知ってほしいけれど、必要以上に知られてほしくない音楽であるように感じる。

 

 少し話が逸れるが……わたしは、創作された音楽を自分のものにする瞬間が好きだ。自分に当てはまる事項が歌詞に出てきたりすると「これはわたしのことを歌っているんじゃないか?」と思うことがある。「このままどこか」もそうだ。

 

例えば、こんな歌詞。

 

わたしは今どこへ向かう

競うメリーゴーランド

 

 遊園地の代表格とされるアトラクション、メリーゴーランド。それを“競う”と表現している。わたしはメリーゴーランドに対してはメルヘンなイメージしか抱いたことがなかったから、re:cacoさんの書く詞に脱帽した。わたしとは根本的に視点が違っている。だが、“どこへ向かっているのかは分からない”ということは共感できる。それが興味深いのだ。

 

 その後には、こんな詞が続く。

 

あの子になりたいとか言って

選ばれなかった幾千の

駆け抜く様なナポレオン

誰も出し抜いたら英雄じゃん

 

 ナポレオンといえば、白い馬に乗った肖像画が有名だろう。先程のメリーゴーランドから比較すると、“作られた馬”が“本物の馬”になっていて、走るスピードも増したようだ。だから“出し抜く”というワードが使われるのか…と納得してしまった。

 

 わたしがもう少し子どもだった頃、何となくではあるが「わたしがいくら頑張っても、憧れのあの子にはなれないんだ」と察したことがある。その時の気持ちとリンクして、この曲は当時をなぞるようにできている。ただ、憧れのあの子になることが出来なくても、自分だけの個性を身に付けることは出来る……この歌詞から、そういった意味を汲み取った。


  楽曲の後半には、プロジェクト名であるBURNABLE/UNBURNABLE(日本語訳すると、“燃えるごみ/燃えないごみ”という意味)にちなんでか、パチパチという燃焼音が収録されている。作られる音楽が、スタートとして素晴らしいのだ。

 

ひとつ、個人的に気になった点がある。

 

私はもう迷えない

 

たった一言ではあるが、感覚的に引っ掛かった。『迷“わ”ない』ではなく『迷“え”ない』なのだ。主人公……書き手のre:cacoさんは意図的に取り入れたのか。何かに引っ張られて、『迷えない』という未来に向かうのではないか、とわたしは考えた。

 

 最後は、こんな言葉で締め括られる。

私の居場所はここにあるの

たいせつなものはすぐそこに

 

『NO ROOM』だった主人公が、居場所だったり、“たいせつなもの”を見つけるのだ。この曲の解釈は人によって違うとは思うが、主人公が未来を見ることができたことは確かだと思う。前向きにはなれなくても、せめて少しの『生きていく力』をくれるのだ。

 

 BURNABLE/UNBURNABLEは、これから大きなプロジェクトへ発展していくと信じている。re:cacoさん自身や公式Twitterでも新曲について言及していたし、次のステップへと進む時は近そうだ。注目していきたい。