文章を贈られると文章を書きたくなるのはどうしてだろう。今日も自ら筆を執っている。ブログだから正確には筆…ではないけど。
こんな何かと騒がしい世の中でも嬉しいことはあるもんだ。希望は捨ててはいけない。
ただのクラスメイトだった隣の席の子に話し掛けてみたら、意外に自分と話が合って友達になったあの瞬間のように、わたしの心の中にじわぁと広がる気持ち。端的に表せば「嬉しい」「好き」という気持ちになるけど、それとはまた違う種類の感情。わたしの持っている語彙力はまだまだ乏しいから言い表すのが難しい
この感情の正体はなんだろう
とにかく胸がいっぱいになるのだ。嬉しい、という感情だけではない何かもぐるぐると混ざり込んで自分の中に入ってくるあの感じ。また大切なものが増えてしまった。これが小さな画面の中で、それでも現実に起こっていることだから、なんだか現実的ではない現実のような。進歩した現代文明の良さらしい。
感情を紐解いていくと、地球規模で見たらちっぽけなわたしでも、どこかの誰かが拾い上げて認めてくれることが嬉しいんだと思う。
承認欲求に近いもの。人間は誰しもが持ってるもの。なんか書いてて恥ずかしくなってきた
わたしが箱庭の中でひとりっきりで紡いだ言葉が思わぬ形で相手に届き、喜んで貰える。幸せなことだ。誰か見ていてくれる人がいるのなら、わたしは書き続けたい。文字を、文章を生み出し続けたい。普段は自分のためにと思って続けているけど、それだけだったらいつかはしんどくなっちゃうからね、その温もりに頼らせてほしい
伝えたいことを自分の思いのままに伝えるのは難しい。だから文字を書きたいと思った感性だけは大事にしたい。伝えたいことが自分の持つ言葉だけで言えないのはなんだかもどかしい。それで相手に伝わらなくなってしまうのはもったいない。ちょうど多感な時期と言われる年頃、この感性だけは周りに流されてしまわないように磨きながら、それから心に留めて大人になっていきたい
大事なことは忘れてしまわないように
必ず会いに行きます。
この地球のどこかにいるあなたに。